天職を見つける方法を教えよう。
キレイゴト抜きに、稼げれば職業などは何でもいいのだ。
天職はどう見つけるか?
成功する素質としてよく挙げられるのは、
「素直であること」
だろう。
しかし、この素直になれるかどうか、というのも脳みその性質であり個性だ。
だから世の中には様々な職業があるわけで、例えば、トレーダーや投資家、起業家などは沢山ある職業のうちのどれかに過ぎないのだ。
では、
「天職はどう見つけるか?」
なのだが、
大前提として
「ある程度取り組んでいるものを本気で数ヶ月間やってみる」
という検証期間は必要なのだが、その検証過程の中で、結果が出そうなもの、なかなか出ないもの。
こういったことをある程度の数、職種に挑戦することで「稼ぎやすい」ものがわかるのだ。
この視点でチャレンジして、稼ぎやすいものに到達した場合、それは天職となる可能性が高いし、天職となる「要素」が組み込まれているのだ。
天職である場合の特徴
天職、または天職となる要素が多い場合、
「他人は苦労しているが、自分は意外と稼げる、できる」
みたいなことが起こる。
これは発見した時こそ、人は生んでくれた親に対して感謝するべきなのだろう。
ある意味、人生の目的となり得る要素を獲得したからだ。
稼げれば職業などは何でもいい?
重要なのが
「稼ぐことができれば職業はどんなものでもいいのだ」
ということだ。
これを言えば、大抵の場合は不信感、軽蔑されるのだろうが、ワイからすれば、それは「市場原理」をわかっていないだけだ、となる。
なぜなら、
- 天職とは、自分で選べない。
- 天職とは、市場が選ぶからだ。
本質的には、この構造になっているからだ。
例えば「トイレ掃除」という従業員市場があったとしてそこでそれに合ってる人はどんどん出世するし、逆に合ってない人はずっと研修生なわけで、時給は低いままだ。
つまり、市場が冷酷に適性人材を市場の原理であぶり出す。
だから市場法則から言えば、
「この人は天職だからお金(給料)をあげよう」
という具合に判断するのだ。
人間にできること
天職を見つける際にできることは、
- 適性(自分の特性)
- 天職(またはそれに近いもの、要素)
を見つけようと動くことくらいなのだ。
それで自分がそこに合致したら、その分野で働き、
「好きになって面白いと思えるか」
で、徐々に天職へと近づいていける。
例えば、チャートを見て「面白い」と思うのか「意味不明、難しそう、無理」と思うか、で全然変わってくる。
感じ方は個性であって、これが面白いなと思う人はおそらく適性があるのだ。
それでちゃんとお金がついてくる。
だから稼げれば、厳密には法律の範囲内ならば、何でもよいのだ。
不快感を与える表現なのだろうが、逆に言えば、
「神のみえざる手、法則に支配される市場を重視する考え方」
であって、結局人間の力では「自分に合った仕事」を「自分の選択」だけで選ぶことはできないのだ。
最終的には「市場」が決めるのだ。
だから「市場」が「あなたはこの職業に適しているからお金をあげましょう」となるのか、もしくは「市場」が「あなたはこの市場は合っていないからお金をあげません」
となり、市場からの退出(失業)を促されるのだ。
だからすべては市場が決めているのだ。
天職の見つけ方
だから突き詰めて考えていけば、
「自分に合ってる市場を探すしかない」
のだ。
そのために憲法22条の職業選択の自由がある。
これがなければ、自分に向いていない職種で一生がんばるしかできなくなる。
それは不幸でしかないだろう。
一方、自分に合ってる職種でがんばるのは「楽しい」「面白い」という感覚が出てきて、この場合は、努力を努力と思わなくなり、給料も上がっていく傾向にあるから、人生は豊かになりやすいのだ。
例えば、ワイの特性は、知識、スキルゼロであっても、他人よりも早く結果にたどり着くことができる。
例えば、
- 空手の黒帯を人が5年かけて取るなら、ワイは2年、
- パイロットで3年ならワイは1年、
- 英語に10年ならワイは2年、
- カネ持ちになるのに20年ならワイは10年・・・
こんな具合でサッと始めて、ササっと結果を出し、スキルとして価値創造に結び付けることができる。
この特性に気が付いたのは、小学2年生の時。
図工の時間で、絵を描く授業があったのだが、放課になって、まわりが外に遊びに行っても自分だけは教室に残り、ひたすら絵を完成させる、という事に没頭していたらしい。
中学時代も卒業式でいっちょ目立っておくか、というだけで部活を引退したその日から卒業式まで約3か月。
この期間でギターをマスターして、全校生徒の前で披露した(Glayの「春を愛する人」という曲を演奏した)。
英語もパイロットも料理もアルバイトにおいて多種多様な業種を経験したが、これがワイの特性なのだと知ったのだが、30歳を超えてからは「目立つ」事にストレスと感じるようになった。
自分は相手のことを知らないが、相手は自分のことを知っている。これが不気味に思えてきたからだ。
だからワイは顔を出して、ユーチューバーとなってもうまくいかないだろう。
だからワイのように有名にも、人気者にもなりたくない、それよりのんびり無名で、誰にも知られていない状態で海でも見ながら暮らしたい、という人がユーチューバーで有名人になろう、と努力してもそれは天職ではないから続かないのだろう。
適性があればよいけどなければきつい。
これを短期間、しかし本気でやっていればわかる。
だから色々な要素で天職は決定されるし、その要素は少しずつ変化するのだ。
まとめ
天職と市場が判断したらお金をもたらしてくれる。
逆に、天職ではないと市場が判断したらその人はその市場から退出されるか、
大したお金もらえないか、もしくはお金をもらっても何かしら悩み続ける。
よって重要となるのは、なるべく早いうちに、とりあえず、いろいろやってみることなのだ。
すると、自分が無理しないレベルで、収益もたらし、尚且つ面白く感じられるものが見つかる。
それがFXや株などの投資ならそれが天職だろうし、逆に検証であったり、政治経済を学ぶのがストレスに感じるなら他の分野が天職である可能性もある。
それは個性であって、自然なことだ。
だから人生において、なるべく成功といわれる状態になりたいのであれば色々やってみて 自分がどの分野で適性があるのかを知る。
ということが重要。
そして、それが合っているかどうかは自分ではなく、最終的には市場が決めるのだ。
ワイの場合は単純にチャレンジして、市場から評価されるもの、に自分を合わせるようにした、だけ、なのだ。
続く(次回で天職編はおしまい)