世の中には、人生は長くなる。
その長い人生において好きなことでなければ人は続かない。
そして、好きなことをしていれば稼げる時代だ。
といった考え方があるが、ワイからすれば、これは正しくもあり、間違いだ。
天職テーマの完結編。
好きなこと=仕事にする時代は間違い?
好きなことを仕事にするべきだ。
これは一部は正しくもあり、一部は間違い、というよりかは疑問だ。
なぜなら最終的に自分の好きを表現して、評価するのは、市場であるからだ。
だから、市場の法則を軽く考えている、と感じるのだ。
常に天職を決めるのは自分ではなく、大部分が市場なのだ。
イチローでさえ市場が評価しなければ、一郎のままだったし、時代が違ったのであれば、無名のまま終わったかもしれない。
だから「自分が稼ぎやすい市場で稼ぐ」というのは、それが天職である市場であるから、この考え方で探求していった方が長期的にはうまくいく可能性は上がるのだ。
例えば「オンラインサロン」が流行っているようだが、人に教える際に相手がどんなに初心者であっても長期間、じっくり教えることができないのであれば、オンラインサロンをやる資格はないだろう。
他にも仮に嫌いな職業があったとする。
例えば、ホストなどはその代表例だろう。
しかし、それでもたまたま一時期の小遣い稼ぎのためにやった嫌いな職業なのに、とてつもない才能を発揮してしまう可能性はあるのだ(天性の聞き上手など)。
そうなるとどんなに自分が好きではなく、ある意味、軽蔑していた職種であっても、適性(天職)はホストであって、ホストという市場(業界)に来るお客さんがお金を落とす市場が天職を決めた、ということになる。
あくまでも、最終的に「天職」は「市場」が決めるのだ、というのがワイの考え。
だから法律の範囲内で他人に迷惑をかけない、というのは書くまでもないが、
「稼げるなら何でも良い」
というこの考え方は、「市場」に自分をぶつけて、晒して行って市場の評価を得て、「天職」を見つけていく姿だから、馬鹿にされてはいけない考え方だ、と思う。
水商売でなくても、転売もバカにされやすい職種なのかもしれないが、転売をやってみて面白く、他の人よりも利益が出せるなら、天職は転売屋(アービトラージ)なのだ。
ワイだって物の転売はしないが、通貨の転売はするわけで、転倍ヤーなのだ(倍になったら利確するから)。
若者たちへのエール
自分の天職を見つけるのは、簡単ではないからまさに「旅」だ。
でも、若者たちはそれを最初からわかった上で旅をして欲しい。
これから、QE4に入ってしまった世界で、その後にどんなことになっても、その時にこの天職こそが最強の社会保障になるのだ。
「天職」という確信を持つに至るにはそれなりに長い時間が掛かるかもしれないが、ぼんやりとこの感覚を掴んでおけば、世界金融がどうなるともなんとか稼いでいけるだろう。
そして、大抵の人は職業数としては、1個や2個で人生を終える。
これはなぜかと言えば、本職という概念を知らないからだ。
そして、本職というものを知らずに、出会うことなく、生涯を終える。
現代だけでも、職種などは200~300はあるのだ。
この数百ある職業の中で一発目、二発目から天職に当たる確率は限りなく低いのだ。だから人生の早い段階でとりあえず、色々やってみて自分に合いそうなものを探す、というのが大事なのだ。
ワイであれば、
サッカー
空手家
家庭教師
モデル
英語教師
パイロット
ウェイター
美容師
料理人
トレーダー
プロモーター
マーケター
ブロガー
トレーニー
投資家
秘書(カバン持ち) etc
などなど、だ。
基準として、合ってるものだと市場は利益を比較的簡単にもたらしてくれるから、キレイゴトではなく大事になる。
こういうことは学校では教わらない。
だからこそ大事なのだが、世の中にはそれぞれの個性で合っているもの、そうでないもの、が存在するからこれを考えながら、日本だけを限定するのではなくて、視野を海外にも広げて、行動するのこれからの時代は重要になってくる。
もちろん「最初だけ」はどんな市場でも初心者からスタートするわけで、この段階では、大して稼げないのが現状だ。
ここで「最初の判断」として重要になるのが
「その市場で収益あげるために努力することを楽しいと思えるか?」
だ。
ここでそう思えるならば、市場適性があると言える(可能性は高い)。
だからその分野で努力できるかどうか、もおそらく天職かどうかの話になってくる。
冒頭で「好き」であるかどうか、も一部正しいと書いたのはそういうことだ(天職であるかどうかの一つの判断基準になる)。
ただもっとも大事なのは「天職」を見つけていく、という姿勢だ。見つけて挑む者は、自分の内側から必ずその答え見つけられるはずだ。
グッドラック