日本人の多くが抱える病状の多くは客観的に見れば、
世界一、薬を飲み(飲まされ)、
世界一、CT検査やレントゲン検査を受け、
世界一、食品添加物が多い。
結果、癌やらなんだの症状、病気(細胞の弱った状態)となる(日本人の不名誉な世界一はこんなものではない)。
『健康診断』
というのは、見方によっては病人を作るための仕組みであるから、CTを複数回やれば被爆するからわざわざ癌を作りに行っているようなものだ。
コロナの検査として使用されているPCRに至っては開発した本人、
故キャリー・マリス博士が
「PCR検査はウィルス特定には使えない」
と言っている。
ワイが思うに、もはや政治にどうにかしてもらおう、という思考は捨てて(もう遅い)、病院と食品添加物を徹底的に避ける生活基盤を模索するべきだと思っておる。
例えば食事にしても消去法として残るのは、玄米やら味噌となるから食事というのは、
「なーんだ、あれもこれも食べる必要もないのか」
とわかるから、その瞬間から食費というのは劇的に下がる。
玄米はやや発芽させた状態で食べたり、7分づき、5分づき、など工夫がいるし、農薬はゼロにはならないだろうが、解毒作用の強い味噌と合わせることでなんとか最小限に食い止められるだろう。
一汁一菜で味噌汁の内容をその時期にベストな食材にして、米は近所の農家さんと仲良くなって、たまには手伝わせてもらって、ワイワイやりながらお互い楽しく生活する。
学歴社会というのは、どんなエリートコースを走ってもせいぜい65歳前後までだろう。
それでいて命と最も遠い場所で競争するゲームである。
しかしながら、人生の本質は自立である、と据えていく場合、片足は命に直結した場所に置いておけば、カネがなくても実は生涯、食っていける、という自信が湧いてくる。
あとはこの生活を実現可能なように、それぞれが知恵を出し合って、何があっても、まあ、カネはないけれど、とりあえずは食っていけるか、という精神状態を持つ。
米だけで考えると成人男性が一年あたり消費する量はせいぜい60キロ~70キロだろう(一俵で約60キロだから、米一俵=一年分の食糧という感じで覚えておけばいい。これをそれぞれが工夫して家族分、2~3年は常にストックしておけばいい)。
これほど心強いものはないと思うよ。
まさにこの心境だ。